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山田奈々子2006年の活動実績

7月 「現代舞踊展」 メルパルク東京
8月「 スタジオ発表会」 かめあり・リリオホール
12月27日 江口隆哉賞受賞記念 「山田奈々子モダンダンスリサイタル」 俳優座劇場
第1部 「カクレンボ ドコヘイッタノ」第2部 「あなたは誰」


現代舞踊展 批評

ウ ソ ツ キ

いま日本で活躍している、現代舞踊家二十八組を一堂に集めての「第三十三回現代舞踊展」が開かれた。今年はメンバーに、若手から選ばれた新進を多く起用した企画もあって、二日間の競演が熱気溢れるものとなっていた。「中略」二日目の中では、野坂公夫・坂本信子作品「曲線した声」と、山田奈々子作品の「ウソツキ」が、現代の問題を提起していた。「中略」山田の作品は、彼女のとぼけた大人の演技が光った。群舞にあっても、ウソツキの多い現代を風刺して、共感を覚えさせる。山田らしい笑いとペーソスで、楽しませてくれた。
 福田一平氏(舞踊評論家)東京新聞7月26日夕刊掲載


ウ ソ ツ キ

本年度の現代舞踊展は新世代の踊り手たちのエネルギーが新鮮だった。また例年作品を発表しているベテランたちもそれぞれに近況をうかがわせる作品を発表した。
<中略>山田奈々子は「ウソツキ」で長年の活動を感じさせる味わい深い舞踊劇を披露した。山田の踊りには長年の舞踊にたいする愛を感じた。
 吉田悠樹彦氏(舞踊評論家)音楽舞踊新聞掲載


ウ ソ ツ キ反響

昨日の現代舞踊展とても感動しました。数多い作品の中でひときわ目立っていたと思います。曲と動きの一体感があって、構成も素敵ですね。
先生の新しい魅力を感じました。     工藤規親様


ウソツキ反響2

☆良かった。構成がしっかりし、ダンサーの心が良い。 最近観た中で一番でした。セット・照明・衣裳(主役の)も良く満足して帰りました。 奈々子さんの舞台は他の先生方のとは一味違いますね。いつも思うことですが、体や手足の動きだけでなく、足先から指先にまで細やかな神経が行き届いていたし、目線や首のかしげかたなど、振りの一つ一つに表情がありますね。微笑みにも無理がないし。本当に奈々子さんをはじめ、皆さんの眼がキラキラ輝いて見えました。特に両手で口をおおって流し目をするあたり、小さな可愛い悪魔を見ているようでした。こんな可愛い悪魔にウソをつかれても、すぐに許してしまうでしょう。奈々子さん本当に可愛かった。衣裳も素敵でした。モーツアルトのヴァイオリンコンチェルトに振りをつけると、あんな風になるとは思いませんでした。私にとって、新しい解釈になりそうです。 
小澤純一様(写真)


ウ ソ ツ キ反響3

「ウソツキ」を拝見して参りました。
14ステージの中で「奈々子さんのが一番よかったね」と家内が申しました。
お世辞ではなく私もそう思いました。
群舞の手や足の揃い方、バランスのよさは群を抜いていて、よく訓練されているなと思いました。モーツアルトのヴァイオリン・コンチェルトを選ばれたのも非常によかったと思います。ステージに柔らかさと品格をもたらしておりました。構成・演出のお手柄と存じます。
筧槇二様(詩人)


ウ ソ ツ キ反響4

今回も一際格調高い作品と演出を拝見し敬服致しました。皆様のお稽古も大きな努力があったと思います。昨年の受賞に引きつづき益々のご活躍のご様子、とくに今年は嬉しく存じました。     平岡久治様(写真)


リサイタル批評 

大人の舞台余裕あり楽しめる
大ベテランの山田奈々子のリサイタルを年末のしめくくりに見た。
二部から成り、第一部は「カクレンボ ドコヘイッタノ」。
山田はもう四十年ちかくも前の第一回リサイタルで、詩人吉原幸子の詩による「蝋燭のような女」を上演している。
山田の不思議な美しさと感性に魅せられた吉原は、以後山田のために多くの作品で協力している。山田はこの旧作を発想源として今回の作品を創りあげたようである。これが第二十二回の江口隆哉賞を受賞して今回の上演につながっている。ところが受賞を果たした後の再演で肩の力を抜いたこともあろうか、彼女をはじめ若い女性陣もがんばってはいたが、印象が少し弱くなったような気もしないでもない。

第二部は新作「あなたは誰」これは近年注目されている認知症のような記憶喪失を扱っている。ヒロインはもちろん山田で相手役は堀登。そして十人の若い女性陣がコロスのように出没して心情や状況の変化を示唆する。プロローグは舞台前面の左側のロッキングチェアに山田が優雅に座り、反対側にスポーティな姿の堀が立つ。彼はしきりと山田を気にかけているようだが彼女は反応しない。二人は夫婦か、過去に交流があったようだが彼女の記憶にないようである。二人が踊る場もすれ違いが多い。
しかしある時、彼女は何かを感じた様子か。エピローグは再び左右に分かれていた二人が正面に近づき、手を組んで奥に去って行く。彼女が彼を思い出したか、新しい恋人と見たか?シリアスな内容を、時間と空間のシンメトリックな構成でお洒落にまとめることで、深刻になることを避けているのが、ほほえましいだけでなく救いにもなる。
山田はいまなお美しさを保ち、派手な動きは見せないながら舞台を支配している。堀が過不足のないサポートで優しい人間性を見せてくれたのもうれしい。女性陣の真摯さもよかった日本の洋舞も若さや技術だけでなく、おとなの舞台も楽しめるように成長し、余裕を見せてきたのが実感できた舞台だった。
藤井修治氏評(音楽新聞)

死別と認知症、今日的問題の見事な考察山田奈々子モダンダンス・リサイタルは新旧作品2本立て、死別と認知症という今日的な問題を取り上げ、「薄れていく記憶」についての見事な考察だった。
前半は、昨05年に江口隆哉賞を受けた、前年の「カクレンボ ドコヘイッタノ」25分の再演。長年の制作協力者であった詩人吉原幸子の死を悼み追悼した作品。吉原は32年東京生まれ、東大仏文科出身で、64年には室生犀星賞を受けた。「絶えず生身を苛烈な火あぶりにさらしているような」詩と評した人もいる。
居ない吉原を探している私、という山田を中に、6人のコロスが低回する構図。皆が白い仮面を付けたり外したりは、生と表裏をなす死との対照を浮き彫りにするのに効果的だった。中ほど、モーツアルトのあまりにも有名なト短調交響曲40番第一楽章の伴奏で山田がソロを踊るのは、夕暮れのなかに悲しみが溶けていく風情で、ひときわの訴求力。幕切れは、無人の舞台の中央にスポットが当たり、逝ってしまった跡の空虚感を強調する。
全編を通じ、吉原が68年山田の第1回リサイタルのために書き下ろした詩「蝋燭」が、吉原自身の声で切々と朗読されるが「許して、わたしが燃えた事を/許して、わたしが消えたことを」という1節もあって、自らの行く末を早くから予言していたようなのが恐いくらい。吉原は数年前、難病と苦闘した末に亡くなった。
「世は定めなきこそ、いみじけれ。住みはてぬ世にみにくき姿を待ちえてなにかはせん」と「徒然草」の兼好は言うが、それは一種の負け惜しみ的諦観だろう。私は記者時代詩壇も担当していたので、吉原には自宅を訪ねて二度もインタビュー記事を書き、そのたび署名入り詩集を何冊か戴いた。当時は舞踊の仕事は全くしていなかったので、後年、山田との友情を知ってなにか不思議な因縁を感じた。
今見ると、署名のインクが滲んでいるのがある。「来し方を思う涙は耳に入り」という古川柳があるが、過去のあれこれを思うと、眠れぬままに枕を濡らす、という意。「記憶していることの苦しみ、記憶が消えていくことの哀しみ」のはざまにある山田の心境に近いかも。でも、吉原にはこんな詩もあって勇気をもらえる。「おまえにあげよう/ゆるしておくれこんなに痛いいのちを/それでも おまえにあげたい/いのちの すばらしい痛さを」
[同じ心ならん人と、しめやかに物語して、をかしきことも、世のはかなきことも、うらなく(へだてなく、の意)言ひなぐさまんこそうれしかるべきに、さる人あるまじけれど」と兼好は言ったが、山田は心の友を持てたのだった。

後半は新作の「あなたは誰」35分。人気作家藤沢周平原作「たそがれ清兵衛」の映画を見ていたら、痴呆の母親が客が来るたび、あなたはどなた様でしたか、と訊く場面があり、今でこそ認知症なんぞと婉曲語法だが、ボケて実の息子も分からないのだった。だが、きのう人に在ったことが、明日我が身に起きない、と誰が言えよう。相手役には演技派の堀登が選ばれている。薄暗いなか群舞の絡みがあって、突然物の壊れるような音。それでも男女の出会いがあったときに、観客は久しぶりの邂逅を喜びあっているように錯覚した。女にとっては、記憶が消えていくゆえに、かえって毎日が新鮮に始まる人生だったのか。時計のセコンドを刻む音が拡大される。なにやら女は表情がうつろのようだ。前面にカーテンを張った縦長のボックスが幾つか常に移動しつつも、二人はそれをかいくぐり、時には追っかけ合う隠れんぼのように楽しんで幾変遷、記憶の山積があったことが示唆される。男が去る。立ちすくむ女の頭の上に、背後から唐突に大きな薬缶がぬっと出るのが卓抜な発想。ああ、こりゃもうヤカンわ、どないひょ。再び時の刻み、揺れる思い出。流出、散逸する過去。男が出てきて日記らしいノートを女に読み聞かせる。化石のようだった女の表情が和らいで恢復した風にも。二人は舞台中央で手を取り合って、後ろ向きに去る。幕。

山田は、信じれば奇跡は起こる。と敢えて言う。一時的に恢復するくらいならあるのだろう。吉原は、母に宛てた詩「泣かないで」で、こう言う。「あなたが三分で忘れることを/わたしだって三日で忘れるのだから/永遠のなかでは たいしてちがわない」。まさしく我が意を得たりだ。山田は「今日の舞台は決して暗い悲しい物語ではない」加齢に伴う死や病気といった災いと闘いながら、「一瞬一瞬を大切に、希望を持って前向きに生きたいと願う応援歌」なのだ、という。老少不定年齢順に死ぬわけではない。養老猛司氏は、最近「自分は死なないと思っているヒトへ」という本を出し、死ぬことを忘れた人間に明日はない、との宣下だ。
「徒然草」の中の、牛の売買の話が好きだ。売り買いの契約ができていたのに、肝心の牛が一夜のうちに急死する。牛の持ち主は損をした、という見方に対し、思わざる死の到来を目撃して、生の尊さに気づかされたのだから、損はないという反論があった。「一日の命、万金よりも重し、牛の値、鵞毛よりも軽し、万金を得て、一銭を失わん人、損ありといふべからず。人、死をにくまば、生を愛すべし。存命の悦び、日々に楽しまざらんや。人みな生を楽しまざるは、死を恐れざるゆゑなり。死をも恐れざるにはあらず、死の近きことを忘るなり」今日一日のかけがえのなさを山田も力説しているのだ。プラス思考の応援歌をありがとう。
木村英二氏評(音楽舞踊新聞)


当日アンケートより

☆良かった。構成がしっかりし、ダンサーの心が良い。 最近観た中で一番でした。セット・照明・衣裳(主役の)も良く満足して帰りました。 71歳
☆初めて観せて頂きましたがこのような世界もあるのか と驚きました。とっても感動しました。皆さん素晴らしかったです。
☆さすが山田先生最高でした(感激)
☆山田奈々子ワールドを楽しめました。
☆奈々子先生がとてもカワイかったです。
☆盛況おめでとう
☆吉原さんを想い出して涙しました。(声・踊り・・)


メールより

先日の俳優座での舞台は、色々な意味で驚きと感動に溢れていて「今夜ここに来て、本当によかった」というのが舞台が終了して客席を立ち上がる際の、率直な気持ちでした。

1部は、何度かリメイクされて練り上げただけあって、前よりもシャープな印象でした。いなくなってしまった吉原さんを焦燥感をつのらせながら必死で探し求める
思いと、結局、彼女がいなくなったことを受け入れざるをえない先生の悲しみが、観てる側の胸にひしひしと迫ってきました。「許して、私が燃えたことを。許して私が消えたことを」という強烈なメッセージは、残された者と去った者、あるいは生と死のあり様を凝視させられる言葉で、そのテーマが鮮明に踊りに表現されてると感じました。何度観ても、五感に強くうったえてくる印象深い作品だと思います。

2部の「あなたは誰」も1部に全く負けない力作ですね。老いとともに起こりうる認知症という深刻なテーマを一体どのようにしたら重く暗くならずに描けるのか、とても興味深かったのですが、この作品には多くの驚きと感動がありました。認知症に伴う時間と場所の記憶の混乱が、あの5つの移動するオブジェで見事に表現されてましたね。あの移動するオブジェの発想は、なるほどそういう表現法があったか、と唸りたくなるほど斬新で効果的でした。また、脳細胞が破壊されていく様子も、踊りと音響で恐ろしいほどリアルに表現されてました。しかし、一方で、やかんが出てきたりとユーモアがあり先生もどこか可愛らしい女性を演じていらして、思わず微笑んでしまいました。このあたりのバランスというかサジかげんが絶妙で、深刻なテーマにもかかわらず、重くならずに全体として、やさしい光に包まれた暖かい印象を与える後味がさわやかな作品だと感じました。プログラムの「ノートより」に書かれている「あなたは誰」そしてあなたに毎日新しい恋をする、「ここは何処」そして同じ風景に毎日感動する という発想は、ショックと言っていいほどの新鮮で素晴らしい驚きでした。このようなロマンチックでやさしい愛に満ちた前向きな発想は、今まで一度も思いつきませんでした。踊りの表現法も含めて、全てが斬新で、何か、宝物を見つけたような気分になりました。 是非とも「あなたは誰」も何度も再演して頂きたい作品です。

両作品とも、生と死をみつめた超力作で感動的でした。冒頭でも述べた通り、「本当に観てよかった」としみじみ感じました。素晴らしい感動と驚きをありがとうございました。              松本奈々子様


お便り

「カクレンボ ドコヘイッタノ」は前回とは構成も演出も変わって今回のほうがすっきりした感じでした。せっかくの吉原さんの朗読の音声が低くて聞きとりにくかったのが惜しいです。「あなたは誰」では、奈々子さんの表情が素晴らしくて見惚れていました。若手の男子の踊り手も育っているのですね。       筧槇二様
おなじみの第1部と、先生独特のアクセントとエキスプレッションが見事な第2部も本当に楽しく拝見させて頂きました。私が一番敬服致しますことは、何時も先生の作品では斬新なコンクレーテッド・サウンドとクラシッックなミュージカル・サウンドが実に見事に何の不自然さも感じさせぬ融合した舞台演出ををなさることです。出演者の方々のお稽古も大変なものだろうと何時も感心しております。其れでなければあれだけの舞台は創れないだろうと思います。写真や絵画の世界に浸っております私にも大変勉強になりました。有難うございました。    平岡久治様
今回のリサイタルは、何か大ぶりという印象が強く感じられたのは、何故なのでしょう。俳優座の舞台が、なんとなく、小さく感じられました。しっとりとした構成も大ベテランの余裕なのでしょうか。大人の舞台といったものなのでしょうか。拝見している私達を一段高い処へ連れていって下さるといったもの感じます。本当にありがとうございました。                           長瀬幸子様


メールより

「カクレンボ ドコヘイッタノ」一昨年の初演の時には亡き吉原幸子さんの影が色濃く感じられたのですが、今回は奈々子さん自身の踊りになっていました。いなくなったホタル・燃えつきてしまった蝋燭のどちらも吉原さんでしたが、今はそれが吹っ切れたのか、今までに奈々子さんの中を通り過ぎていった人々、または、もう一人の奈々子さんを探していたように見えました。振り付けや構成にほとんど変わりは無いのに、時間がそうさせたのでしようか。
「あなたは誰」:「ひび割れていく時間」では悲劇的な結末にかなりショックでしたが、今回は穏やかに幸せになれたことで救われました。以前アイデアとして伺っていた舞台装置、とても良かった。でもあんな大きな箱にして安定は良いけれど、動かすのが大変ではなかったですか。誰かが棺桶みたいだっていっていましたが、そんな意味合いもあったようですね。中に消えていったのはやはり「カクレンボ・・」でいなくなった人たちと同じ奈々子さんの記憶の中に居た人・物達なのですよね。
年老いた母を抱える身としては、ああなったらどうしょうかと、胸がいっぱいになってしまいました。最後まであんなふうに幸せに生きてもらえるようにしなければと思っています。幸せなひとときを有難うございました。  小澤純一様


メールより

公演ご成功おめでとうございます。
毎回の感想ですが、奈々子先生の構成力には本当に驚かされます。「あなたは誰」はまた特別に完成度が高かったと思います。先生の演技力にも目を見張るものがありました。美術の面白さも手伝って、30分程の作品があっという間に終わってしまったという感がありました。再演を心待ちにしています。 中本久美子様


舞踊年鑑平成18年の記録

現代舞踊の概況
めざましいベテランたちの活躍
公演日順にあたってみると、中略
山田奈々子は12月にリサイタルを行い、「あなたは誰」他を発表。少しも気張っていないけれども奥が深く、そこにほんとうの味わいが感じられる舞台はベテランならではのもの。これだけベテランにがんばられると、若手、新進たちの出る幕がないのでは・・・、と心配になる。若手の奮起を望む。
山野博大氏現代舞踊展 批評