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山田奈々子2008年の活動実績

1月  「ジョイントリサイタル」  あうるすぽっと
7月  「現代舞踊展」       メルパルク東京
8月  「スタジオ発表会」    リリオホール


ジョイントリサイタル<力強く、充実し、個性的な作品が並ぶ>

年はじめに現代舞踊の大家たちは次々に作品を発表した。不透明な時代の中でも彼らは創作活動を続けている。和田寿子、藤里照子、山田奈々子によるジョイントリサイタルはそれぞれの出自の流派や年代でもなくおのおのの舞踊と向かいあったような内容だった。
山田の「ウソツキ」では立体的な構成と共に金髪の作家が踊る。シンメトリーなど基本的な構成を用いてダンサーの動きを最大限引き出している充実した作品だ。その若き日も想像させる作風である。<中略>3人による「三重奏partⅡ」は櫻の下で踊るという設定だ。朗らかでありながらも創作を鋭くみつめた表現で戦後世代の原風景とその現在形がくっきりと示された。<中略>現代舞踊の大家たちは混迷する時代の中で強靭な想像力で作品を生みだし続けている。「創作」それは無限に続く挑戦であり、未来への遙かな道筋である。
吉田悠樹彦氏<音楽舞踊新聞>


ジョイントリサイタル反響

感激の一言で、今も感動の余韻が残っている感じです。真っ暗な客席が、舞台をより際立たせ、時には神秘的に、時には優雅に。踊りがあんなにも深い精神性をも表現していることに驚きました。そして引き込まれました。使用されていたモーツアルトの曲やカンツオーネなども美しく、ありがとうございましたと申しあげたいです。また拝見したいです。   宗美津子様


ジョイントリサイタル反響

「ウソツキ」はとても可愛らしくおしゃれで楽しかったです。特に、誰かをだましているのがはっきり分かるような振りはないのだけれども「人に調子を合わすのが上手で、ノリはいいのだけど、どこかウソっぽい人」の雰囲気がよく出ていて「ああ、こういう人っているなー」と妙に納得してしまいました。先生が、何となく憎めない可愛らしい「ウソツキ」の存在を、好感度たっぷりに表現されていて、見ていても楽しかったし、後味もいい感じでした。この作品も、先生独特の都会的なテーストに包まれていますね。コミカルで可愛らしいのだけれども、すごく粋でスマートです。

今回の「三重奏PARTⅡ」はブラックユーモアたっぷりの前回の「三重奏」とは対照的に、洗練されたサラリとしたユーモアに溢れている印象を受けました。ああいった比較的サラッとした感じで(そう見えるだけで、実際は綿密な計算があると思いますが)踊れば踊るほど、その踊り手独自の本来持っている円熟味がよく表れて素敵でした。若い時は、踊りに力が入りがちですが、やはり、何でもかんでも、ただ力を込めればいいわけではないのだなと、あらためて感じました。三人の先生方は、それぞれ、踊り方や感性が異なっていて、とても興味深いです。特に、全く同じドニゼッティの「人知れぬ涙」の曲での踊りの競演は面白かったです。しかし、お互いに感性がそれぞれ全く違いながらも、全体としては、すごくいい感じのハーモニーで溶け合っていて、この「三重奏」も「PARTⅢ」が見てみたいです。私の印象では、今回は5年前の俳優座の時よりもさらに、3人の先生方の息が合っていていい雰囲気でした。しかし、今回もやはり山田先生の可愛らしさが目立ってました。先生は「華やかなスター」の雰囲気をお持ちなので、舞台が一段と華やぐ感じがして、見ていて心が浮き立ちます。

無限に湧き出ているのではないか、と思ってしまうほどの先生の作品の構成力と創造力にただ、ただ、驚嘆してます。今回の舞台は多くの人達に、パワーと感動はもとより「素敵に生きるとはどういうことか」の問いを投げかけたことと思います。感動的で心温まる公演をありがとうございました。 松本奈々子様


ジョイントリサイタル反響

お洒落で、セレブで、ハイセンスで、コミカルなところもあり、ちょっぴりセンチな、とっても素敵な舞台でした。

旦那が亡くなってから6年、それぞれ豊かな生活を送っていたことでしょう。でも時にはあの頃の事を思い出すのでしょうか。時に反発し合い、そしていたわり合いながら生きていく。そんな中に3人のそれぞれの性格が出ていて、これは本性なのかもしれないなどと思いました。お揃いのショールと椅子は、3人それぞれへの贈り物だったのでしょうか。でも、PART1を見ていなくても充分楽しめる舞台でした。むしろ私のように深読みしないほうがよかったのかもしれませんね。

それにしてもベテラン3人組、掛け合いの見事さ、すばらしい間の取り方、表情もポーズも生き生きとして、どんどん引き込まれていきました。3脚の椅子とショール、背景は満開の桜ですか。これだけの道具だけで、こんなにも素晴らしい物語を繰り広げる。さすがです。小澤純一様


ジョイントリサイタル反響

先日の公演とてもすばらしかったです。三重奏Ⅱでは迫力と存在感に圧倒されました。ますますパワーアップした舞台また期待しています。 工藤規親様


08年の<現代舞踊>

現代舞踊を中心に周辺領域にも触れる形でまとめよう。新世紀初頭の勢い溢れる若手作家の表現の台頭をこれまでに形成された既存の枠組みではなく次の10年を見据えたさらに新しい枠組みやオルナティヴな視線で考えていくことが求められている。その表現は暗い世相とはいえ明るいものが多い。テクニックと表現の歩み寄りが見えるようになってきたのも一つの傾向だ。現代ダンス全般でもコンセプチャルな作風に対する反動か力強い身体表現が好まれてきている。<中略>大御所で折田克子、芙二三枝子、藤井公・利子、山田奈々子、森嘉子、そして旗野恵美が力作を送りだした。不穏な世相の中とはいえ戦争を体験した今日の大家たちがいずれも平和へのメッセージをこめた作品を多く発表しだしていることは重要なことだ。<後略>吉田悠樹彦


「現代舞踊展」反響

< 前略>
山田奈々子の「帰幽」も注目したい作品だ。この作品は作家の弟に捧げられた作品だ。山田を中心に人の一生と壮大な時の流れが刻みだされた。高田系ならではの力強いスペクタルである。<中略>昭和から平成にかけての時代の流れと舞踊の歴史、そして芸術家たちの絶え間ない創作への情熱を感じた夏の夕べであった。

吉田悠樹彦様<音楽舞踊新聞>より


「現代舞踊展」反響

日本の現代舞踊界を代表する「第三十五回現代舞踊展」(東京新聞主催)が十一、十二の両日、東京都港区のメルパルクホールで開催された。本展の総評を舞踊評論家の福田一平氏に語ってもらった。

現代舞踊が全国的な広がりを見せている中で、新進からベテランまでが競う同展。今年の特徴は、未来への不安ゆえか、自己確認の大事な思考を舞踊で示そうとする創作が多かったように思う。<中略>印象に残ったのは、山田奈々子の「帰幽」。亡き弟への思いをつづったものだが、残された初老の女性の今までに出会った人々や過ぎ去った時間を、万感を込めて舞踊に結んでいた。個と群舞の象徴作品だが不思議な共感を覚えさせた。 東京新聞夕刊より


「現代舞踊展」反響

(ゆるぎないベテラン勢の作品)
二日間にわたって計二十八作品が上演された。関東地区を主体に現代舞踊界の各世代を代表する舞踊家が選抜され、若手から中堅、ベテランへとプログラムが組まれている。作品のコンセプトや動きのスタイルが若手とベテランでは異なっており、その傾向が見えて面白い。まずベテラン陣、さすがに総体としてしっかりと自己を確立しており、印象に残るものが多い。各日のトリは折田克子とアキコカンダ。折田は石井みどりに捧げる「グリーンフィールド」。折田自身が師であり母である石井みどりを時にイメージさせて、群舞とともに祈り、その継承を誓う。カンダは「追想のマラゲーニャ」で曲想を生かしながら多くのダンサーを駆使して自分の世界を創造する。さらに、亡き弟真二に捧げた山田奈々子の自分を中心としたスタイルをつらぬく「帰幽」<後略>オン・ステージ うらわまこと氏


「現代舞踊展」反響

感動しました。人間の生と死の神秘・・・そのようなものを感じました。強さ、美しさ、儚さ・・・が表現されていたと思います。次の舞台も楽しみにしています。    工藤様


「現代舞踊展」反響2

とても素晴らしい舞台でした。可愛くて、綺麗で、美しく、奈々子さんらしさが存分に発揮されて心から楽しませて頂きました。奈々子さんの髪だけが黒くて、他の人が皆グレーなのも意味深かったです。中略

タイトルは「幽冥界に帰ってしまった人たちの事を思う心」の意味だけではなく、奈々子さん自身が、幽冥界に帰るのではなく、そこから帰って来た事を、そしてそこで得た物で更に飛躍する事を約束しているように思えました。期待しています。 小澤様


「不思議の国のたびびと」塩島千典写真展

舞踊家山田奈々子との拾年と題して塩島千典写真展が、高原の風爽やかな穂高「高橋節郎記念美術館」で催された。かやぶきの高橋節郎の生家は、広い土間を上ると畳・障子・床の間・縁側とタイムスリップしたような空間。絵巻物のように、行灯風になどなど展示された写真たちは、舞台を抜け出しひと味ちがう表情を見せて生き生きとそこにあった。


[踊る ことばたちが」書評

かって小林秀雄は、モーツァルト」の音楽について書いたエッセーで、「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」という名句を吐いた。
それと同じように「踊り」も一瞬一瞬で頂点に達し、次の瞬間には消えていく。 テレビでは録画ができることで、その疾走ぶりを追跡できるが、踊りはそんな巻き戻しはできない。まさに、「一期一会」であり、涙も感動も追い付けない。

しかし、その踊りが生み出した劇場空間を共に生きているという共感は魂の中に刻み込まれる。それが最後の頂点に爆発する。
その意味で、タイトルは言い得て妙。ここには踊りの本質が示されている。
世界日報<新刊>


[踊る ことばたちが」書評

モダンダンス界の第一人者・山田奈々子さんの初めての著作であり、絢爛たる半生のモノローグ。「踊りは止まることなく一瞬に流れ去る、潔く儚い。それでも、踊りを通して私のメッセージを舞台から発信し続けたいと思う」と、あとがきに書かれているように、この本は、その舞台の儚い一瞬を切り取った美しい映像をちりばめた、華麗な一冊。舞台での才能とともに、詩的な味わいに満ちた文章が随所に展開され、タイトルとなった「ことば」が、まさに「踊る」本となっている。 舞踊芸術


[踊る ことばたちが」書評

1968年(昭和四十三年)のリサイタル以来、今も現役と芸暦の長いモダンダンスの雄、山田奈々子の舞台写真集に、折々の文章を加えた一冊。「踊りは止まることなく、一瞬に流れ去る、潔く儚い」もの、と自らは言うが、「舞台の一瞬を切り取った映像をちりばめる」この本は、記憶を呼び覚まし、記録に留める点でもなかなか貴重である。しゃれこうべをもてあそぶかと思うと、花魁姿ありで、その表情、姿態、シチュエイションの豊穣さがすぐ目に付くが、とりわけ、最初から美術スタッフだったワダエミに紹介されたという詩人吉原幸子台本、演出による「昼顔」「血櫻姫刺青」「高野聖」「春琴夢幻」「沙露姫」といった作品群は、日頃から、伝統と現代を融合し、芸術のジャンルの壁を取り払ってクロスオーバーさせ、トータルな空間を目指してきた「志」の記念碑的な成果と言えよう。公演ポスターのコレクション一つを取っても、デザインはワダエミ、田中一光、朝倉摂、林静一、村上祥子ら、題字は詩人の草野心平、会田綱雄、吉増剛造と、一流どころを集めて壮観だ。

初リサイタルの半年後の68年暮れに他界した、父にして師の山田五郎の思い出。朗読の吉原、琵琶の半田淳子との3人でアメリカを巡演し「前衛にして古典的、情熱的にして抑制され、セクシーにしてクール」と評された86年珍道中。当節の環境破壊を予言していたかのように「自然に帰れ」を提唱したイサドラ・ダンカンの足跡を訪ねて、パリのペール・ラシェーズでの墓参から、ギリシャのコパナスの丘へ回った89年の旅。見える花は散るが、見えない花は散らない、という吉原への03年の追悼文などなど、内容は多彩にわたる。

舞踊の創造は試行錯誤の繰り返し、悩み苦しみばかりだが、文字を綴る作業はひたすら楽しい、素人の大胆さ、怖いもの知らずのせいか、と言う。飼犬、飼猫への「無償の愛」ぶりも並大抵でなく、舞台の山田からは窺えない別の側面で、おかしくも微笑ましい。

木村英二氏(音楽舞踊新聞)